日本映画不屈の名作「砂の器(1974)」がクソつまらない件

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映画「砂の器」がつまらない

日本映画の歴史残る名作として名高い、「砂の器」をAmazonプライム・ビデオで初めて視聴しました。

テレビドラマなどでも何度もリメイクされていますが、私は原作の小説も中居くん主演のドラマも観たことはなかったんですよね。タイトルくらいは知ってたけど。

ちなみにフジテレビ開局60周年特別企画として、2019年3月にも「砂の器」が新たに制作され放送されます。

とはいえ私にとってはこの1974年公開の映画が「砂の器」初体験でした。

感想としては「脚本がおもしろくないし無駄に長い。何が描きたいのかよくわからない映画だった」という感じ。

「砂の器 レビュー」や「砂の器 口コミ」などで検索すると、絶賛している内容(特に後半40分のラストシーン)ばかりなので、私の感覚が他の人とそうとうズレている気もしますが・・・。

ただ「つまらない」と書いても仕方がないので、私が他の人のように「砂の器」の親子の放浪シーンで感動できなかった理由を考察していきたいと思います。

一度観ただけの知識を元に書いているので、私の勘違いなども含まれているかもしれません。コメントなどでご指摘いただけると幸いです。

そもそも脚本に無駄や無理が多くない?

まず映画の冒頭シーン。秋田県の羽後亀田で怪しい男に関して聞き込みをする今西さんと吉村さん。

川で洗い物をしているところを何分も観ていたという謎の男。

これ結局誰だったのか、さっぱりわかりませんでした。東北地方はまったく事件とは関係なかったので、たまたまいた不審者ということでいいのでしょうか?

だとしたらまったく意味のない謎のミスリードで、視聴者の記憶に残りやすい冒頭シーンで入れるべきではないと思うんですよね。

その他にも理恵子さんが電車から細かく切った血まみれのスポーツシャツを捨てたことも引っかかります。なぜそんな目立つ処分方法をしたんでしょうね、別に燃やしてしまえばそれで終わりだと思うんだけど・・・。

新聞に載った社説の紙吹雪の女から事件に結びつける吉村さんの勘、これもかなり無理があってちょっと笑ってしまいました。

別にその後に記者がたまたま女性の居場所を知っているのはいいんですよ、出来すぎだとは思うけど、作り話なんだから。

ただ犯人を追う刑事の思考や、犯人の協力者の行動に無理があるというのは、ミステリーを観る上でおもしろくないポイントですね。都合良すぎというか。

まあそもそもこの映画を推理小説が原作になっている、というイメージで観てしまった私が悪かったかもしれませんね。

犯人の和賀がクソヤロー過ぎて放浪シーンが感動できない

この映画の感想でほとんどの人が絶賛するラスト40分のシーン。犯人の和賀さんによる「宿命」の演奏の裏で、主人公の今西さんの捜査報告と、本浦親子の過酷な放浪シーンが重なります。

ここで泣ける、というレビューが多かったのですが、私は「なっげえな、台詞もないしクソ退屈じゃねえか。早く三木巡査と出会って、大阪に行き着くまでのシーンやれや」と思ってました。

いや、確かに音楽は素晴らしいし、古き良き日本の雄大な景色に、台詞がなくても感情やストーリーまでも表現する役者さん。見ごたえはあるんですけど、問題なのはこれが和賀英良の過去シーンであることなんですよね。

ここに至るまでに描かれていた和賀英良はとんでもないクソヤローでした。

  • 人情に厚く誰からも慕われている三木謙一さんを撲殺。しかも三木謙一さんは迫害されていた自分たち親子に唯一温かく接してくれた人
  • ちゃんとした婚約者がいるにも関わらず浮気をしている
  • 「あなたの世話にはなるつもりはないから、子供だけは産ませて」という愛人の理恵子さんに対して「絶対に産むな」と冷たく言い放つ

正直こいつの過去がどんなに悲惨でかわいそうなものでも、まったく感動できません。まあお父さんの本浦千代吉さんはかわいそうだけども。

例えば罪のない人を殺した殺人犯を思い浮かべてみてください。地下鉄サリン事件の犯人でも、秋葉原通り魔事件の犯人でも誰でも良いので。その犯人が過去に悲惨なイジメを受けていたとして、感動で涙が出るでしょうか?

しかもこのシーンを見てる間ずっと頭にあったのは「で、結局なんで和賀は三木謙一を殺したのさ?」っていう疑問。この答えに早く行き着いてほしいから、めちゃめちゃ長く感じたっていうのもありますね。

和賀英良が三木謙一を殺した理由が最後までよくわからない

この映画が終わった時、「え、これで終わり!?」と思ったのは私だけでしょうか。

てっきり逮捕した後の今西さんと和賀さんの会話があって、そこで動機がはっきりするものだと思っていました。

2回会ったという和賀さんと三木さんの会話シーンもほとんどなし。演奏中の和賀さんが回想していた「なんで父親に会わねーんだ、お前の首に縄つけてでも連れてくからな」みたいな三木さんの台詞のみでした。

自分で想像したり、ヤフー知恵袋などの同様な質問を元に、考えられる動機は次の3つ

  • 戸籍詐称や家族にらい病患者がいることなどがバレると今の地位を失う
  • 和賀は三木のことを、幼い自分と愛する父親を切り離した悪人だと思っていた
  • 宿命は会えない父親への想いで作っている曲だから、会うと曲が作れない

1つ目の動機はわかりやすいですが、今西刑事が「三木謙一は軽々しく和賀の過去を口外するような人間ではありません」とか言ってたし、まあ制作者の意図とは違うでしょう。

2つ目もちょっと考えにくいかな。過去のシーンで秀夫くんが三木さんの家から出ていった後に、自転車で探してくれている三木巡査を見てめっちゃ泣いてたよね。

あの時って三木さんに感謝しているけど、らい病の親族がいる自分が一家にいることで迷惑をかけたくないから泣く泣く出ていってると思うんだよね。そう考えると三木さんを恨んでたっていう線もないかなって思います。

ということで3つ目が答えだと思いますが、これは映画を観終わった段階では私は気づきませんでした。

観直してみると三木さんが和賀さんに対して「秀雄、何故だ。どげんしてなんだ。会えば今、やーかけちょー仕事がいけんよーなーなんて、なんでそげんな事言うだらか。わしには分らん」って言ってましたね。方言がキツすぎてまったく聞き取れていませんでした。

これが動機だとすれば最後の今西さんと吉村さんのやり取りの中の「彼にはもう、音楽、音楽の中でしか父親に会えないんだ」の意味もわかります。もう父親には会わないという固い決意の元でできた曲なんでしょう。

ただそれでも恩人である三木さんを殺すまでするかね・・・と思ってしまう次第であります。

何が描きたいのかわからない

以上のことを踏まえた上で、この映画を観た感想をまとめると「何が描きたいのかわからない」ということです。

殺人犯の親子の絆を押し出したいのであれば、被害者を悪人にしてくれた方が私はわかりやすく感動できたと思います。

例えば千代吉・秀夫親子を差別しイジメていた人間が、大人になって天才ピアニスト兼作曲家の和賀 英良が本浦秀夫だということに気づき、ゆすりを仕掛けてくる。そいつを和賀さんが過去の復讐と口封じのために殺す、というストーリーにしてくれていれば、過去のシーンでどれだけ感動できたことか。

逆に冷酷で自分勝手な殺人鬼を熱血刑事が追い詰める、という展開を描きたいのであれば、放浪シーンなんて丸々カットで良いと思います。それプラスご都合主義の強引な捜査は書き直してほしいですが・・・。

どちらにも振り切れていない感じがこの映画「砂の器」がおもしろくないと感じてしまった原因だと思います。

どうも色々なブログなどのレビューを読むと原作の小説と映画ではわりと異なる点があるみたいで。小説版は親子の放浪シーンとかはなく、犯人の和賀は冷酷な人間として描かれているみたいなんですよね。

その設定は引き継いだ上で、親子の絆を前面に押し出した放浪シーンをぶち込んでるからちぐはぐな印象なのかなって思いました。

映画「砂の器」のよかったところ

悪いところばかりあげても申し訳ないので、逆に良かったところを少し。

途中でも書きましたが、ラスト40分の捜査会議、放浪、コンサートが重なるシーンは本当に素晴らしいと思います。構成としても、最後に怒涛の謎解き+感動+音楽による盛り上げができるのは高評価。

そこに至るまでのストーリーが私には合わなかったという感じなだけなんですよね。

そして役者陣の演技が良い。古い映画をほとんど観たことがなかったので、名前くらいしか知らない役者さんが多かったんですけど、丹波哲郎さん、緒形拳さん、加藤嘉さんなど2019年の今見てもまったく色褪せない迫力があります。

特に加藤嘉さん演じる本浦千代吉は台詞も出番もそれほど多くないのに、強烈に印象に残っています。今西刑事とのやり取りなど、このシーンを観られただけでも、この映画を観て良かったと思えるくらい素晴らしい演技でした。

以上、「日本映画不屈の名作「砂の器(1974)」がクソつまらない件」でした。

※本ページの情報は2019年4月時点のものです。最新の配信状況は U-NEXT サイトにてご確認ください。

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